給料は増えていても、物価の上昇に追いつかなければ、生活は楽にならない。2026年3月は、その関係に変化が出た。物価の影響を差し引いた実質賃金が前年同月比で1.0%増え、3か月連続のプラスとなった。
厚生労働省が2026年5月8日に公表した毎月勤労統計調査の3月分速報値によると、働く人1人あたりの現金給与総額は31万7254円で、前年同月比2.7%増だった。名目上の賃金増加は51か月連続となり、賃上げの流れが続いていることを示している。
ただし、今回の数字でより重要なのは、賃金が増えたこと自体ではない。物価上昇を差し引いても、賃金がプラスに残った点である。これは、家計の購買力が統計上は改善の兆しを示したことを意味する。
何がこれまでと違ったのか
今回の統計では、基本給にあたる所定内給与が27万1313円となり、前年同月比で3.2%増加した。所定内給与は3か月連続で3%以上伸びており、これは1992年10月以来、33年5か月ぶりの水準とされる。
ここが大きなポイントだ。賞与や一時金が増えるだけなら、一時的な押し上げにとどまる可能性がある。だが、毎月支払われる基本的な給与部分が伸びると、家計は将来の収入を見通しやすくなる。買い物や住宅、教育費、資産形成などの判断にも影響しやすい。
一方で、現金給与総額の2.7%増という数字だけを見ても、生活実感は判断できない。食料品や光熱費などの価格がそれ以上に上がれば、給料が増えても買えるものは減る。実質賃金は、名目賃金を物価指数で割って算出する指標であり、賃金の購買力を見るために使われる。
3月の実質賃金指数は、持家の帰属家賃を除く総合の消費者物価指数で実質化した場合、前年同月比1.0%増となった。この物価指数の前年同月比は1.6%上昇で、賃金の伸びが物価上昇を上回った形だ。
これは家計が本格的に楽になったということか
注意したいのは、実質賃金がプラスになったからといって、すぐに家計が力強く回復したとは言い切れない点だ。3月の実質賃金は3か月連続のプラスだったが、ロイターは2月の改定値2.0%増から伸びが鈍化したことも指摘している。
つまり、方向としては改善しているが、勢いが十分に強いかどうかはまだ見極めが必要である。家計にとって大切なのは、単月のプラスではなく、実質賃金が安定してプラスを続けられるかどうかだ。
厚生労働省は、春闘などによって所定内給与を中心に賃金が増加し、物価上昇率が前年と比べて低かったことが実質賃金の増加につながったとの見方を示している。同時に、中東情勢が物価や実質賃金に与える影響を注視したいとしている。
ここには、今回の数字の弱点も表れている。賃金が伸びても、原油高や円安、資源価格の上昇などで物価が再び加速すれば、実質賃金は再びマイナスに戻る可能性がある。家計の改善は、賃上げだけでなく、物価がどこまで落ち着くかにも左右される。
なぜ日銀の利上げ観測につながるのか
実質賃金の改善は、家計だけでなく金融政策にも関係する。日銀は、賃金と物価がともに安定して上昇する状態を重視している。賃金が上がり、消費が支えられ、企業が価格を引き上げても需要が大きく崩れないなら、物価上昇が持続しやすくなるためだ。
ロイターなどの報道では、3月の実質賃金上昇について、日銀の追加利上げ観測を支える材料になり得るとの見方が示されている。春闘で高い賃上げが続き、毎月の基本給にも反映されつつあるなら、日銀にとっては「賃金上昇を伴う物価上昇」が進んでいるかを確認する材料になる。
ただし、利上げの判断は実質賃金だけで決まるものではない。物価の基調、個人消費、為替、海外経済、企業収益なども関わる。今回の統計は利上げ観測を支える一因にはなり得るが、すぐに政策変更を決定づける数字とまではいえない。
むしろ重要なのは、日銀が確認したい循環に少し近づいた可能性があるという点だ。賃金が上がり、家計の購買力が支えられ、消費が底堅くなれば、企業も価格や投資の判断をしやすくなる。その循環が続くかどうかが、今後の政策判断の焦点になる。
生活者はどこを見ればよいのか
一般の生活者にとって、実質賃金のプラスは明るい材料ではある。だが、毎月の買い物で感じる負担がすぐに軽くなるとは限らない。実質賃金は平均値であり、業種、雇用形態、地域、年齢層によって実感は大きく異なる。
たとえば、基本給が上がった人にとっては、毎月の収入見通しが改善する。一方で、食料品やエネルギー価格の上昇が家計を圧迫している家庭では、統計上のプラスを生活の余裕として感じにくい場合もある。
資産形成の面でも、この数字は判断材料の一つになる。賃金が物価に追いつき始めると、家計に投資や貯蓄へ回す余地が生まれる家庭もある。ただし、日銀の利上げ観測が強まれば、金利、為替、株価にも影響が出る。新NISAなどで投資信託を選ぶ場合でも、賃金や物価の変化が市場全体の前提を動かすことは意識しておきたい。
見るべきなのは、実質賃金がプラスかマイナスかという一点だけではない。基本給の伸びが続くのか、物価上昇率が再び高まらないか、日銀が金融政策をどう調整するのか。この3つをあわせて見ることで、家計と市場の先行きが少し読みやすくなる。
賃上げの本当の意味はこれから試される
3月の実質賃金が3か月連続でプラスとなったことは、賃上げが家計を支え始めたかを見極める材料である。特に所定内給与の伸びが続いている点は、一時的な賞与よりも重い意味を持つ。
ただし、家計の購買力が本格的に回復したと判断するにはまだ早い。物価が再び上振れすれば、実質賃金の改善は打ち消される。中東情勢、円安、資源価格、政府の補助金政策など、物価を左右する要因はなお多い。
今回の統計は、「賃金が上がった」というニュースにとどまらない。賃上げが物価に勝てるのか、家計の消費を支えられるのか、そして日銀が利上げに動ける環境が整うのかを考える材料である。給料の数字を見るときは、額面の増加だけでなく、そのお金で何をどれだけ買えるのかを見る必要がある。そこに、実質賃金という指標の意味がある。
(本稿は各種公開情報をもとに作成した。一部数値は記事掲載時点の情報である)

