2026年4月7日、米国とイランによる2週間の停戦発表が伝えられた。しかし、ホルムズ海峡をめぐる緊張が和らいだとしても、世界の農業と食料価格への影響はすぐには消えない。今回の焦点は原油だけではない。肥料の海上輸送という見えにくい動脈が揺れたことで、農業生産コスト、食料インフレ、人道支援物流にまで波紋が広がっているためだ。
ホルムズ海峡は「原油の海峡」である前に肥料の要衝でもある
ホルムズ海峡は、海上原油貿易の約4分の1、液化天然ガスの海上取引の約5分の1が通る戦略水路として知られる。だが、見落とされがちなのが肥料だ。国連貿易開発会議(UNCTAD)によると、海上肥料貿易の約3分の1にあたる量がこの海峡を通過している。
湾岸諸国は豊富な天然ガスを生かし、アンモニアや尿素などの窒素系肥料を大量に生産してきた。これらは穀物や野菜の収量を左右する基礎資材であり、供給が滞れば農業全体のコスト構造が揺らぐ。ホルムズ海峡の混乱は、単なるエネルギー問題ではなく、農業インフラの問題でもある。
肥料高は時間差で食卓に届く
国連食糧農業機関(FAO)は、2026年3月第1週に粒状尿素価格が前週比19%上昇し、エジプト産尿素は28%上昇したと整理している。さらに、混乱が続く場合、2026年上期の肥料価格は平均で15〜20%押し上げられる可能性があるという。
肥料が高くなると、農家はまず投入量を調整する。使用量が減れば、数か月後から次の作期にかけて収量に影響が出やすくなる。そこから飼料、乳製品、食肉、加工食品へとコストが波及する。この時間差のある伝播こそが、食料インフレを押し上げる主要な経路の一つだ。
FAOの食料価格指数は2026年3月に前月比2.4%上昇した。近東情勢によるエネルギー高もその一因とされるが、同時に各品目の需給要因も重なっている。重要なのは、エネルギー高と肥料高が別々ではなく、農業コストを通じてつながっている点だ。
最初にしわ寄せを受けるのは輸入依存国と支援現場だ
影響は一律ではない。FAOは、混乱が3か月以上続けば2026年以降の作付け判断にまで影響が及び、バングラデシュ、インド、エジプト、スーダン、さらにサハラ以南アフリカの一部諸国でリスクが高まると警告している。肥料輸入への依存度が高い国ほど、価格上昇と供給不安の双方にさらされやすい。
世界食糧計画(WFP)も、東部・南部アフリカ、アフガニスタン、ミャンマー向けの物流で遅延が出ていると明らかにしている。WFP貨物の輸送コストは足元でおよそ18%押し上げられており、混乱の解消後も滞留の解消には1〜5か月を要する可能性があるという。食料安全保障は値段の問題であると同時に、必要な場所へ物資が届くかどうかの問題でもある。
欧州はロシア・ベラルーシ依存の後始末を迫られる
肥料市場では、ロシアとベラルーシの存在も改めて浮上している。両国は依然として主要供給国であり、ホルムズ経由の供給に不安が出る局面では、代替調達先として相対的に注目されやすい。
ただし欧州連合(EU)は、ここで単純な選択を取りにくい。EUは2025年6月、ロシアとベラルーシ産の一部農産品と肥料への追加関税を採択したが、肥料関税は3年の移行期間を設けて段階的に引き上げる仕組みだ。依存を減らしながらも、域内農家のコスト急騰は避けたいという事情がにじむ。安全保障と食料コストの両立は、依然として難題のままだ。
北米農家も無縁ではない
北米農家も今回の波から切り離されていない。農機購入を抑えるほど収益環境が厳しいなかで、国際肥料価格の上昇はそのまま経営圧力になる。米ホワイトハウスが2026年2月に打ち出した temporary import duty では、米国内で十分に確保できない肥料は例外扱いとされたが、それでも世界価格そのものが上がれば入力コスト上昇は避けにくい。
つまり、政策上の例外規定があっても、国際市況の上昇まで遮断できるわけではない。今回の緊張は、地政学リスクが農家の損益計算に直結する局面を改めて示した。
停戦は出発点であって終点ではない
4月上旬時点で停戦が発表されても、物流の正常化には時間がかかる。機雷や安全確認、保険料の高止まり、船会社の運航判断、港湾の混雑といった要素が残るためだ。FAOも、通常の海運条件に戻るまでには数か月かかりうるとみている。
しかも肥料高の影響は、収穫と流通を経て食卓に届くまでさらに時間差がある。いま見えているのは、危機の終わりではなく、コスト圧力の蓄積の入り口だ。ホルムズ海峡の混乱を「原油相場の話」で終わらせず、肥料と食料の連鎖として捉えられるかどうかが、今後の世界経済を見るうえでの重要な分岐点になる。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

