日本で生まれた高級ぶどう「シャインマスカット」が、中国や韓国で安価に大量流通している——そんなニュースを聞いたことがある人は多いだろう。だが問題の本質は「海外に持ち出された」という結果ではなく、「持ち出される前に止める法律の仕組みが不十分だった」という構造にある。
農林水産省は今国会に種苗法(しゅびょうほう)の改正案を提出し、新品種が国に正式登録される前の段階でも、輸出を差し止める仕組みをつくる方針を固めた。一見すると技術的な法改正だが、その背景には日本の農業ブランドと知財戦略をめぐる、長年の課題がある。
種苗法とは何か——植物のための「著作権」
種苗法とは、新しい植物品種を開発した人や機関に「育成者権」という権利を与え、無断増殖や無断販売を禁じるための法律だ。音楽の著作権や薬のパテント(特許)に近い発想で、対象が植物の新品種という点が特徴だ。
この法律があることで、たとえばシャインマスカットを開発した農研機構(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)は、自分たちが育てた品種を無断でコピーされないよう守ることができる——はずだった。
問題は「出願」から「登録」までの空白
種苗法の権利は、品種が国に「登録」されて後に差し止めなど本格的な権利行使がしやすくなる。しかし品種を登録してもらうには、まず農水省に「出願(申請)」し、そこから審査を経て登録が認められるまで、平均で約3年かかる。最長では6年に及ぶこともある。
現行法でも、出願が公表された後であれば「仮保護」があり、登録後に補償金を請求する道は開かれている。しかしこれは、流出後の埋め合わせが中心の仕組みだ。海外で一度苗が増殖されてしまえば取り返しがつかない。育成者にとって必要なのは、流出を後から補填することではなく、流出そのものを止めることだ。
今回の改正が狙うのはその点だ。現行法の差し止め請求権は育成者権者、つまり登録後の権利者に結びついており、登録前の出願者が使える差し止めの手段は弱かった。改正案は、その「登録前の数年」に差し止めの武器を持たせることで、空白期間の穴を埋めようとしている。
農水省によれば、2020年にはかんきつ類の新品種「あすき」が、品種登録の前に海外に流出した可能性があるという。
2020年改正でも埋まらなかった穴
実は種苗法は2020年にも大きく改正されている。このとき、農産物の海外持出制限の設定、自家増殖(農家が自分で種を採って翌年使う行為)への許諾制の導入、栽培地域の指定などが盛り込まれた。
農研機構の解説によれば、2021年施行のこの改正で、出願段階で輸出先国を届け出ることで海外持出制限を設定し、官報で公示することができるようになった。
ただし、届け出と公示ができても、実際に流出が起きそうなときに民事裁判を通じて輸出を「止める」という局面では、使える差し止め手段はなお限定的だった。今回の改正案はその続きに位置する。出願が公表された段階から、まだ登録されていなくても民事裁判などを通じて輸出差し止めを請求できるようにする——これが今回の核心だ。
読売新聞の報道では、輸出前に国内で種苗を保管する行為も侵害として扱いやすくする方向が含まれる可能性があるとされており、差し止めの対象を輸送の手前まで広げることも論点になっている。
シャインマスカットの損失が示す経済的な重さ
読売新聞が農水省試算として伝えたところでは、シャインマスカットが中国などで広まったことによる損失は年間100億円超とされる。これは農家の損失にとどまらない。
シャインマスカットのような日本産高級品の価値は、「日本でしか買えない希少さ」にある部分が大きい。海外で安価に大量流通すれば、そのブランド価値は薄れ、輸出で高値をつける戦略が成り立たなくなる。さらに、開発費を回収できなければ、次の品種開発に投資する余力も失われる。
共同通信の2月の報道によれば、今回の改正案には育成者権の保護期間を10年延長する方向も含まれており、「流出を止める」だけでなく「投資して品種開発をする価値を守る」という産業政策上の意図も読み取れる。
これは農業ニュースであり、知財政策のニュースでもある
種苗法は農業行政の制度に見えるが、その実質は「植物という形の知的財産をどこまで守るか」という問いだ。
日本の農産物ブランドは、長年の品種改良の積み重ねによって成立している。シャインマスカットもあすきも、一朝一夕に生まれたものではない。その成果を守る差し止め手段が登録前に弱いとすれば、流出のリスクは常に「登録前の3年」に集中する。
今回の改正は、その空白を法律で埋めようとする試みだ。改正案は近く閣議決定され、今国会での成立を目指す。
(本稿は各種公開情報をもとに作成しました。一部数値は記事掲載時点の情報です)

