2,200隻が、出口のない海で足止めされている
ペルシャ湾の中に、船が溜まっている。
タンカー、コンテナ船、液化天然ガス(LNG)運搬船──。その数、約2,200隻。日本の船も混じっている。日本船籍の船が5隻、日本企業が所有する船(外国船籍を含む)が52隻。それらはいま、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)の沿岸付近に身を寄せるようにして、動けずにいる。
出口はある。ペルシャ湾から外洋へと抜ける水道、「ホルムズ海峡」だ。しかし、そこを通る船は──日本時間3月3日午後1時以降、4日午後6時まで──集計上「ゼロ」だった。
そもそも「ホルムズ海峡」とは何か
地図を見ると、ペルシャ湾は巨大な袋のような形をしている。その袋の口、オマーン湾へとつながる数十キロ規模の細い水道が、ホルムズ海峡だ。
この海峡を、世界のエネルギー地図の観点から見ると、その重要性が際立つ。イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、UAE、カタール──中東の主要な産油・産ガス国の輸出は、この海峡への依存度が高い。迂回ルートが用意されている国もあるが、能力には限界があるとされる。
2024年時点の推計によれば、ホルムズを通過する原油・コンデンセートの84%、LNGの83%がアジア向けとされる。世界のLNG貿易量の約20%がこの海峡を通っているという試算もある。日本、韓国、中国──アジアの経済大国が、このボトルネックに強く依存している。
地政学の世界では、このような「一点が詰まると全体が止まる」場所を「チョークポイント(咽喉点)」と呼ぶ。ホルムズ海峡は、世界で最も重要なチョークポイントの一つだ。
「ゼロ」に至るまでの5日間
何が起きたのか。時系列をたどると、急転直下の変化が見える。

船舶の位置情報サービス「マリントラフィック」を運営する調査会社ケプラーのデータをNHKが集計したところ、2月25〜28日は、のべ100隻超が連日ホルムズ海峡を通過していた(25日121隻、26日131隻、27日125隻、28日123隻)。
転機は2月28日だった。アメリカとイスラエルがイランへの攻撃を開始したとされるこの日、通過隻数はまだ123隻あった。しかし翌3月1日には25隻へと激減し、2日と3日はそれぞれわずか3隻。そして3日午後1時を境に、数字は「ゼロ」になった。
5日間で、1日100隻超から0隻へ。
なぜ船は「止まれ」と言われていないのに止まるのか
誰かが「通行禁止」を宣言したわけではない。にもかかわらず、世界中の船会社が船を止めた。ここに、現代の「封鎖」の実態がある。
船を動かすには、複数の条件が揃わなければならない。攻撃を受けないこと。GPSで正確に航行できること。万が一のときに保険が下りること。乗組員が命がけのリスクを負わないこと。
イラン情勢が緊迫した今、これらが一つひとつ崩れた。ミサイルやドローンの攻撃リスク、機雷の危険性、GPS(GNSS)妨害による航法障害。英海軍の航行安全組織(UKMTO)などはGPS妨害やAIS(船舶自動識別装置)の異常を注意喚起した。そして戦争リスク保険の保険料が跳ね上がり、条件が厳しくなる。航路や船によっては、引き受けが難しくなる局面も出てくる。
「保険が付かない船は動かせない」──これが船会社の実務論理だ。
さらに、一部の船はAIS(位置情報の自動送信装置)を意図的にオフにして航行しているケースも報告されている。つまり、「追跡上ゼロ」と「物理的にゼロ」はイコールではない可能性もある。ロイターはVortexaの船舶追跡データとして、平時(1月以降の平均24隻/日)から3月1日に4隻へ急減したと報じており、「事実上の麻痺」という表現が妥当なトーンとなっている。
世界最大級の海運会社マースク(デンマーク)は安全上の理由で、一部の中東向け輸送で新規ブッキングの受付停止・制限に踏み切った。中国最大手COSCOも中東航路の新規ブッキング停止を発表した。止まっているのはタンカーだけではない。コンテナ船も止まった。つまり、エネルギーだけでなく、あらゆる「モノ」の流れが滞っている。
LNGという弱点
エネルギーの中でも、特に注目されているのがLNG(液化天然ガス)だ。
石油は常温・常圧の液体として輸送できるが、LNGは天然ガスをマイナス162度まで冷やして液化したもので、専用の液化設備とLNGタンカーが必要になる。カタールは世界有数のLNG輸出国であり、同国のLNGのほとんどがホルムズ海峡を経由して輸出されている。
そのカタールが、LNG輸出についてフォースマジュール(不可抗力条項)を宣言した。液化設備を止めると、再稼働に時間がかかる。代替ルートはパイプラインだが、LNGはパイプラインでは運べないため、迂回手段が極めて限られる。
分析会社Vortexaは、LNGの影響はアジアと欧州が特に受けやすいと指摘する。
代替ルートはあるのか
サウジアラビアとUAEにはホルムズを迂回できるパイプラインがある。しかしその処理能力はホルムズを通過する全量を代替するには足りないとされており、抜本的な解決策にはならない。
JPモルガンの分析として、イラクやクウェートは自国内の貯蔵能力に限界があるため、海峡が閉塞すると数日のうちに生産・輸出を絞り込まざるを得なくなるという試算も報じられた。封鎖が長引けば長引くほど、影響は世界規模で拡大していく。
日本への影響──備蓄という盾と、LNGという急所
日本は石油について、国家備蓄・民間備蓄などを合算して「254日分(消費換算)」があると政府側は説明している。これはかなりの余裕だ。
しかしLNGはそうはいかない。日本のLNG在庫は国内消費換算で数週間程度、という報道がある(数値の前提は一定ではない)。電力・都市ガス・工場の熱源として欠かせないLNGが不足すれば、電気代の高騰、工場の稼働停止、生活インフラへの直撃が現実となりかねない。
さらに、コンテナ船の停止が長引けば、電子部品や食品・医薬品など、生活に関わるあらゆるモノの供給が細る。海運大手の動き停止は、エネルギー危機と同時に物流危機の萌芽でもある。
「何日閉じるか」が、全ての分岐点
現時点で、イラン情勢の行方は不透明だ。外交交渉が進むのか、軍事行動が拡大するのか──それによって、事態は全く異なる展開をたどる。
市場と専門家が最も注目しているのは、「海峡が実質的に閉じた状態が何日続くか」という一点だ。数日であれば備蓄と代替調達でしのげる。しかし週単位、月単位になれば、世界規模でエネルギーコストと物価が上昇し、景気へのダメージは計り知れない。
2,200隻の船が、ペルシャ湾の中で潮の流れを読みながら待っている。その出口をめぐる判断が、私たちの暮らしに直結している。
主な参考:NHK(2026年3月4日報道)、ロイター、Vortexaデータ、JPモルガン分析、各社報道。一部の数値・情報は「不明」または「推計」を含む。

